シュガー村の朝は早い。

 夜明けと共に起床し、仕事にとりかかる人も少なくは無い。

 それは牧場主も同じ。朝早く起きて、作物に水やりをし、動物たちの世話をする。

 必然的に犬の散歩は後回しにされる。が、愛犬アルフとしては出来るだけ自分の散歩は遅い方が良かった。

「アルフ、散歩行くよ」

 が、今日もいつもと同じ時間に作業は終わってしまい、飼い主のトーイがいつものように散歩に連れて行ってくれる。

「さ、いこうか」

 

 

 

 

「おはよう、ジーナ」

 食品店の前で、見知った人を見かけたので声をかける。

「あ、おはようございます、トーイさん」

 声をかけられたジーナも立ち止まって会釈をする。

「今日も暑くなりそうですね。暑さでバテたりしないよう、気をつけてください」

「わかってるよ。…アルフが早く行こうって言ってみるし、それじゃあ」

 よく見ればトーイのズボンに噛み付いて、「早く行け」とねだっているアルフが。

 ここ最近、散歩の度にこうだ。少し村の人と話し込むと、ズボンに噛み付いたりして早く行こうと自己主張を繰り返す。普段から牧場では放し飼いにしているから、自由を満喫したいから、というのはありえない。

――何でアルフは俺が他の人と話してるときだけ自己主張激しいんだろ?

 元野良犬だが、普段はそこまで自己主張は激しくない、と思う。

 食事の時もそこまでがっついていないし、放牧中の鶏がどこかに行ってしまっても探してきてくれるし、牛を小屋に戻す時も、吠え立てたるなどして追い立ててくれる。

 とても有能な犬だが、何故か、村人と話をしていると途端に自己主張が激しくなってくる。散歩中だと早く行けと言わんばかりにズボンをひっぱり、牧場にお客さんが来たら吠えて追い回す。

「まあ、番犬としては有能だからいいや」

 元より楽天的な性格、そこまで深く考えることは無かった。

 

 

 

 

「おや、トーイちゃん。おはよう」

 庭で掃き掃除をしていたマーサがトーイに気がついて挨拶をする。

「おはよ、マーサさん。ディアは中?」

 屋敷を指差してそう言う。

「ええ。でも、今は勉強中だから出来れば後にしてちょうだい」

「…タイミング悪かったな、今日は」

 困ったように帽子をいじるトーイの側で、アルフが不敵な笑みを浮かべた…ように見えた。

「…今度からダークに乗ってこようかなぁ」

 牧場で飼っている唯一の馬、ダークがこの時クシャミをしたとかしていないとか。

 そして、飼い主のすぐ側でガーンとショックを受けたようなアルフが。

「でもアルフの散歩もあるしなぁ…」

 アルフ復活。尻尾をパタパタ振って喜びを表現。

 そんなアルフがかわいいのか、マーサはアルフの頭を撫でてやった。

 と、そんなこんなのうちに。

「あら、トーイさん。こんにちは」

 屋敷からディアが出てきて、トーイは考えるのを止めて笑顔に。

「こんちわ。今日はちょっと時間遅くなっちゃったよー」

 遅れた原因はブラウニー牧場で鶏の餌を纏め買いしていたから。

「いえ、かまいませんわ」

 トーイと同じく、表情を綻ばせながらディアが言う。お嬢様も明るくなったわぁ、とマーサが歓心しながらその様子を見ている。

「それで…こら、アルフ。ズボンに噛み付くなって」

「? あら、またですか」

 またアルフがトーイのズボンに噛み付いて引っ張ろうとしている。何処かへ行こうと言っているみたいだが、今回ばかりはトーイも譲れない。

「あのね、アルフ。俺はディアと話がしたいの。だから、おとなしくしていてくれ」

 が、それでもアルフは噛み付いたまま放そうとしない。

「犬のしつけって大変ですか?」

「そうだよー。特にアルフは、我慢が出来ないっぽくて」

 やっとズボンに噛み付くのは止めて、今度は大人しく座り込んだ。

「あ、ちゃんと出来るじゃないか。最初からいい子にしててほしいんだけどな…」

「撫でてもいいですか?」

「いいよ。ただ、頭に上から手を近づけると恐がるから、それは止めてね」

 背や胸を撫でてあげると、気持ち良さそうにしているアルフだったが、唐突に目を開いて、フッとディアを睨んだ。まるで、

「ご主人様に触れさせないぜ!」

 と言わんばかりに。それに対して一瞬だけ、表情が引きつりそうになったがかろうじてこらえる。そして笑顔で、

「とてもかわいいですわね。大人しいですし」

 とトーイに言った。

 この時アルフも油断無く、気持ちよさげ表情の裏でディアに対し火花を散らしていた。もちろん、ディアもそれに負けじと笑顔で、でも裏には敵意を込めてアルフを睨む。

 けれども楽天的で天然交じりのトーイには。

「アルフとディア、仲良くなれたみたいだな」

 といったことしか浮かんでいなかった。

 

 

 

 

 それから犬対人間という、奇妙なバトルは始まった。

 毎日トーイはアルフを連れて、ウォールナッツの森のお屋敷に向かうから、否応無くディアとアルフは顔を合わせる羽目になる。

「あら、トーイさん。それにアルフ」

 トーイには混じりっ気無しの笑顔で、アルフには悪意を隠した笑顔でディアが出迎え。

 対するアルフも、マーサがいるときは悪意を隠さない表情でディアと向かい合い。さり気なく、ディアのアルフを撫でる手には必要以上の力が加わっていたり。そしてアルフは視線でギロリとディアを睨み…。こんな毎日だった。

 そして、トーイはこれっぽっちもそれに気がつかず。

「アルフとディア、すごく仲良くなったなぁ」

 と、天然な笑顔でそう言い放つのだった。

 

 

 

 

 が、そんなアルフとディアの静かな争いもお休みの日がある。雨が降っている日は、アルフが風邪を引くという理由で、犬は家に閉じ込められっぱなしだったり。特に大雨の日は決して外に出ないよう、注意している。

 そのため、ディアにとってはアルフに邪魔されずにトーイとゆっくり出来るのが雨の日はありがたくって、連日雨が降る雨季はとても待ち遠しいものだった。

「こんちわー」

 ずぶ濡れの帽子をギューっと玄関先で絞り、声を張り上げる。

「いらっしゃい。…今日も派手に濡れたみたいだねえ」

 仕方ない子だねえ、とマーサがタオルをくれる。それでゴシゴシと髪を拭いて、シャツの裾もギュッと絞って水を出す。

「こんな土砂降りの中、わざわざいらしてくださるなんて…」

 居間から現れたディアも、多少驚きを隠せない。が、こんな土砂降りでは濡れるのを嫌うアルフは追ってこないだろうし、服が自然乾燥するまできっと居るだろうし…、久々にゆっくりと、何も気にしないで話が出来る。

 そう思うと、ついつい表情が緩んでしまうもので。

「しばらく雨も止みそうにありませんし、少しゆっくりしていったらどうです?」

「そうさせてもらうよ。じゃないと、このまま帰ったら風邪引いちゃいそうで」

 居間の暖炉の側にトーイを座らせ、自分はその向かいに。気を利かせたマーサはお茶を持ってきてくれて、そのままジーナと共に台所に引っ込んでいる。

 アルフがいない。ただそれだけの、それ以上無いくらい幸福な時間をディアは噛み締めていた。が、そんな平穏な時間はからくも崩れ去ってしまう。

 

 ガリガリ…。

 

「? 何の音?」

 バケツをひっくり返したように降り注ぐ雨の中で、居間のトーイと台所のマーサはそれに気づいた。

 まるで、何かが扉を引っかいているような音。雨音に消されそうだが、ハッキリと存在感とでも言うべきものを持っていて、無視できない。

「トーイさん?」

「ちょっといい?」

 ひょいと立ち上がり、居間を出て行くトーイ。それにつられてディアも玄関ホールへ。

 同時に台所からマーサとジーナも出てきた。

 音は近い。というより、玄関から聞こえるような…。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 とりあえず、男の子だからトーイが恐る恐る玄関を開けてみる。

 僅かに開いた隙間から飛び込んでくる泥だらけのこげ茶色の物体。

 瞬間的に、それを認めたくなかったけど、認めざるを得なかった。

「わっ、アルフ!?」

 その物体は嬉しそうにトーイに擦り寄る。

「わざわざこんな土砂降りの中来たのか…。置いてきぼりは嫌だったのか?」

 こくこくと首を振るアルフ。

「そうかぁ…。お前もディアに会いたかったのか」

 ここまで来ると天然も疑わしい。が、そんな飼い主と犬を尻目に、ジーナが慌ててタオルを持ってきてくれた。そしてそのタオルで飼い主に身体を拭かれながら、アルフはディアに向かって勝ち誇ったような笑みを浮かべた…、ような気がした。

 がくり、と膝をつくディア。まさか、アルフがここまでするとは…。

「…今回は私の負けを認めますわ…。が、次は必ず勝ちますわ!!」

 と、心の中で闘志をメラメラと燃やすのだった。

 

 シュガー村で起きる、人間と犬の、仁義無き争いはまだ始まったばかりだった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―・―・―・―・―・―

  あとがき

 久々に牧物小説です。ふぃー……。主人公の名前を変えた理由ですが、前のが手抜きすぎたからです。相方に相談し、トーイにしました。

 今回のネタは相方とのメールで話題になったもの。犬がディアに嫉妬したら面白いよねーという冗談から始まって、果ては村の女の子全員対愛犬というスケールにまで…。

 というわけでその最初の部分が今回の話。続きを書く予定はありますので。と言ってもいつのことになるやら…。って、書く気がないわけではありませんよ!?書きますとも、一度書いた以上は!!